くまんち

なんてことない、日々のこと

根無草

長崎の五島出身の曾祖父と結婚し、東京で暮らしていた曾祖母は疎開で夫の実家に身を寄せることになった。


しかし、長崎で原爆に合う。曾祖母と子供達は無事だったが、曾祖母はこの時一緒に疎開しようとしていた実母を亡くす。そして、子供達を連れて五島へ。
曾祖父は家族と合流する前に、空爆にやられたそうだ。

実の母を亡くし、実家である寺は親戚の手に渡って帰れない。初めて訪れた五島には知り合いはおらず、頼りの夫も戦火に奪われた。
島の人達は同情し、親切だったようだが、やっぱり「よそもの」「お客サマ」という扱いだったようだ。
島の子供達が皆、草履か裸足か、という時代にオーダーメイドの革靴を履いた祖母達はやはり浮いていただろう。それでも子供同士は土地に馴染む。

曾祖母はひ孫の私から見ても、島のおばあちゃん達とは一線を画していた。

凛と伸びた背中、口笛を吹くことすら「下品だ」と叱るくらい怖いおばあちゃんだったが、厳しい言動にも一本筋が通っていた。


もんぺ姿すら凛々しく気高かった。

 

私が娘を連れて、久しぶりに五島へ帰った時、島のおばあちゃん達が私を見て、曾祖母似だと言った。


「上品やったもんねー、ばあちゃん。よぅ似とんね〜」


いい加減でズボラな私が曾祖母に似てるなんてとんでもなく恐れ多い。


島の人らしい華やかな目鼻立ちの母に似ず、地味顔の私を最大限に褒めてくれたのかしら、と母に話すと、母は少し笑って

「ばあちゃんは最後まで島の人にはなれんかったね」と言った。

「上品って、褒め言葉やけど、よそよそしいよね」

 


島を離れて嫁いだ母もまた思うところがあるのだろう。

 

長崎を離れ、四国に嫁いだ私も「よそもの」


きっと死んでもこの「土地の人」にはなれない。
そして、故郷を離れた時間が長くなるにつれ、方言も少しずつ抜けてきた。


根無し草のよう。

 

そういえば、曾祖母の実家は神戸だそうだが、関西弁の片鱗も見せなかった。つい最近までずっと東京の人だと思っていた。

 

曾祖母の足元にも及ばない私だけど、似ていると言われたことに恥じぬよう背筋を伸ばして生きていこうと思う。


家族の幸せのため、よそもの扱いを受けても礼を失することなく気高く生きた曾祖母のように。