くまんち

なんてことない、日々のこと

【子育て四訓】
乳児はしっかり肌を離すな
幼児は肌を離せ 手を離すな
少年は手を離せ 眼を離すな
青年は眼を離せ 心を離すな

 

というのを、ネットで見かけた。
なるほどである。

肌は自然と離れていく。手や目を離すタイミングは難しい。


娘が友達の家に遊びに行った。
過保護かもしれないが、去年までは親同士連絡が取れるお宅のみ、事前に約束した上で遊びに行かせ、送り迎えもしていた。
今回のお宅は親同士、連絡先を交換できていない。失礼ながら、お話すらほとんどしたことがない。
ただ、当の娘達は互いに手作りのプレゼントを贈り合うほどの仲良しだ。


私の心配を余所に、娘はさっさと支度を整えて「5:30に帰るね!」と飛び出して行った。
「5:30にお家の前まで迎えに行くからね!失礼のないように、ご挨拶はきちんとね」とおやつだけ持たせた。「はーい!」と駆け出す。一刻ももったいないんだろう、気持ちはよくわかる。

 

私自身は小1の頃から比較的自由に遊びに行っていた。遊び相手を告げて帰りの時間さえ守ればどこで何をするのか、細かく言う母ではなかった。
子どもってものは無責任で、妙な万能感から無謀なことをしたがる。それは 私だけではないはずだ。

 

娘と同じ年頃のことだ。

秘密基地を開拓しようと友達と散策していて、排水管工事の為か蓋が開けっぱなしになっている水路を見つけた。誰が言い出したか、この水路(といっても水は流れていなかった)をどこまで行けるかみんなで探検することになった。
入口は腰を屈めて進めたが、次第に四つん這いにならないと進めなくなった。水路というよりは側溝に入ったのだと思う。それでも引き返すどころか、「どこから出られると思う?」なんて強がりもあったかもしれないが、みんなはしゃいでいた。
私はだんだん不安になっていったが、先頭の子がズンズン進み、後ろの子が急かすものだから、怖いとか帰りたいとか言える雰囲気ではなかった。
そうして随分這い進んだ頃、「帰ろう!」と唐突に誰かが言って、よく言った!とばかりに私達は頭上の蓋を開けて外に出ることにした。
ところが、四つん這いの姿勢で重いコンクリートの蓋を開けることは難しく、或いはそもそも小学生の女の子に動かせるものではなかったのかもしれないが、とにかく開かなかった。誰も開けられなかった。あの時の絶望感。今思い出しても胸がざわざわとする。
引き返すにもUターンなんてできない。後ろ向きに這うか、このまま進んで蓋の開いた出口を探すかという話になった。
お互いの顔も見えない状況だったが、全員パニックになる心を抑えて、平常心を保とうとしていた。それが不幸中の幸いだったと思う。誰かが泣きでもしたら、冷静ではいられなかっただろう。それくらいの緊迫感の中、私達は後ろ向きに引き返すことに決めた。

 

穴から抜け出した後、ただただ疲れて、喜ぶでもなくみんな黙りこくっていた。夕日はだいぶ傾いていて、親に叱られないようにさっさと帰ることにした。
帰り道、私は自分たちが這っていた溝の上を歩いた。どこまで歩いても蓋の開いたところはなく、そのまま交差点に続いているのを見て、真っ暗になる家路を一人、半泣きで走って帰った。

(余談だが、芥川の『トロッコ』を読んだ時、私はこの時のことを思い出し激しく共感した)

そんな愚かで無謀な私の娘だ。ご時世もあるが、とてもじゃないが、自分の母のように大らかに遊びには行かせられない。

 

話は戻って、娘はというと約束の時間から15分程遅れたものの、ニコニコと嬉しそうに帰ってきた。
いつもの二つ結びが、細かく三つ編みされて、おしゃれに結ってあった。
娘の友達とそのお姉ちゃんがニコニコと見送りに出てきてくれて「また遊ぼうね〜」と手を振り別れた。

子ども達のいい笑顔の前に15分遅い!なんて小言は野暮だ。
「お家の人にもちゃんとご挨拶した?」
「したよ!この前、〇〇さんは何の挨拶もなしに勝手に入ってきて(⁈)おやつ食べて遊んで、黙って帰っちゃったんだって!お姉ちゃんが怒ってた。私ならいつでも大歓迎って言ってくれたよ!髪ね、お姉ちゃんがYouTube見ながら編んでくれたんだよ!宿題しながら編んでもらった!」

 

子どもには子どもの世界も大事なのだ。
親の目がありそうでなさそうな距離感で安心できる子どもだけの世界。

 

娘の笑顔を見ながら手の離し具合を悩む。