くまんち

なんてことない、日々のこと

8.9.11:02

被爆者が年々減少」「語り継ぐ」
毎年、この時期になると聞こえてくる。

 

被爆3世になる私は、語り継ぐ立場にあるのだろうと思う。しかし、祖母に被爆体験を聞くことができない。

 

夏休みの宿題に「戦争体験をおじいさん、おばあさんに聞こう」という欄があった。できれば、というくらいの位置づけだったのでやらなかった。

 

祖母が被爆したのは10歳になる年だった。

祖父が被爆したのは原爆投下後、現地調査のため焼野原を歩いた時だ。


祖父もまた戦時中のことを多くは語らなかった。

「あと一週間、終戦が遅かったらじいちゃん、特攻隊やったぞ。よかったなぁ、生きとって!」と笑って話したのが、一番生々しかったかな。
子どもに聞かせたくなかったのだろうし、自身も話したくなかったのだろうと思う。


当時、特攻隊候補となるくらいの年齢だった祖父がそうなのだ。子どもだった祖母。爆風で玄関先にいた妹が吹き込んできた、と言っていた祖母に、根掘り葉掘りとその体験を聞くことは、私にはできない。

祖母が話したい時に、話す言葉を受け取るだけだ。

小学生の頃からそのスタンスできた。

 

この頃は、毎年この時期になると「それでいいのか」と迷うようになってきた。

語ることで楽になる人もいる。語ることを使命、と昇華することで心の傷を癒すこともあるだろうと思う。

でも、言葉にできない、したくないという気持ちもまた仕方がないのだ。
「原爆の記憶を風化させてはならない」という言葉が言葉にしたくない被爆者達を追い込んでいないことを願う。

 

語り継がねば、という思いもある。
しかし、被爆当時10歳にして幼い弟妹の為に懸命に踏ん張っていたであろう小さな女の子の姿を思うと、今まで言葉にせず閉じ込めてきた記憶を敢えて掘り起こすことは、私には難しい。

 

黙祷