くまんち

なんてことない、日々のこと

二月は誕生月

私が生まれた日はそれはそれは寒くて、雪の珍しい故郷が大雪だったという。
 
私は母親のお腹の中でくるくる泳いでる内に、母の骨盤に足がはまってしまったうっかり逆子で、母は帝王切開だった。
 
生まれたばかりの私の足は、ずっとお腹の中で立っていたせいでグニャグニャだったそうだ。
祖母は咄嗟に「この子をお嫁さんに見せちゃいけない」と思ったという。
産後でヘトヘトの母が卒倒するのを心配したというんだから…一体どんな有様だったのやら。
 
 
27年後の同じ日に娘は生まれた。
 
それは綺麗な冬晴れの朝。
分娩室から病室へと、ふらふら看護師さんに手を引かれて見た窓からは冬の柔らかい金色の朝日が差し込んでいた。
 
「あら〜睫毛の長い、かわいい女の子ですよ〜」と助産師さんは産湯を浴びたばかりの娘を私に抱かせてくれた。
「マスカラ要らずね!」なんていたずらっぽく笑いながら。
夫はビデオを片手に「誕生日おめでとう!」と私に言い、娘に「誕生日おめでとう!」と言った。
へとへとで誕生日なんて頭から抜けてしまっていたから、妙に感動したっけ。
 
娘は長い睫毛が重いのか、なかなか目を開けられずにいた。この子の瞳に映った自分を見たのは2日後だったかな。御簾から覗くように睫毛の隙間から一生懸命、私を見ていた。
 
小さく、か弱いと思っていた赤ちゃん。
初めて抱いた瞬間、力強くて、すごく重く感じた。
 
命の重さだ。
 
か弱いなんて、とんでもない。
生きる、という意志と、エネルギーに満ちた命そのもので神々しくすら思えた。
 
 
怒ったり、泣いたり、困ったこともたくさんあるけれど、毎日、いっぱい笑って、いっぱい笑わせてくれる娘。
彼女の誕生は私の世界を間違いなくキラキラとカラフルにした。
 
金色の朝日に包まれて生まれたこの子は、誰かに寄り添う柔らかな光のように生きるのだと思う。
 
いつも誰かを喜ばせよう、笑わせようとする娘。
きっとこれからもあなたの周りには明るい笑顔が集まってくる。
 
 
私が誕生日に二つ目の命を授かったお話。
 
 
毎年、娘と二人で「お誕生日おめでとう!」と言い合うのがくすぐったくて、嬉しい。